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島根~広島を結ぶJR木次線(陰陽連絡鉄道)の歩み-踏鞴と神話の旅 !

2018/10/24

明治の終わりごろ、当時の念願だった陰陽連絡鉄道(島根と広島を結ぶ鉄道)が地元の有志により私鉄簸上鉄道株式会社を設立して、1916年大正51011日、簸上鉄道宍道・木次間(21.1㎞)を開業致しました。当時は機関車が3両しかなく、客車、貨車も少なかったが、次第に営業成績が上がり昭和の初期には新車を次々に購入していきました。当時レールの幅を山陰線と同じにしたため、貨車の荷物を積み替えなしで東京・神奈川へ主に木炭を送って利益を得ていました。1934年、昭和9年8月1日に簸上鉄道が国有化されて木次線となり、木次から奥については昭和121212日に八川・備後落合間が開通し、木次線、芸備線を経て広島と直通となり、島根と広島が結ばれ80周年を迎えることになりました。木次線は、陰陽連絡鉄道として中国山地越えの厳しい地形が続く難工事であった事とが想像できますが、先人の知恵により建設が出来ました。木次沿線には、広大な自然と景観に伝統文化、歴史があります。当時、木次町は、雲南三郡(大原郡《木次町・大東町・加茂町》・飯石郡《三刀屋町・掛合町・吉田村》・仁多郡《仁多町・横田町》)現在は雲南市(大原郡・飯石郡)・奥出雲町(仁多郡)の交通の要所でもあり商業の中心を担っていました。そのため商店や公共機関などか全て集まり、人々の往来も激しく賑やかな町でした。そして昭和2810月に島根と広島を結ぶ優等列車快速「急行ちどり号」が運行開始となり、木次線は、今まで以上に島根と広島を結ぶ架け橋となりました。地元から広島へ行かれた人たちが、帰省されたときの故郷のお土産として「焼き鯖」はもちろんのこと「焼あじ」も人気がありました。当時、焼き鯖の串より細く長い串に、あじが3匹刺してあり、これを「さんざし」と呼び農繁期の忙しい時期には各家庭でも食べられていました。これを地元のお土産としてお買い求めいただきました。時代の流れや交通事情により、昭和62年4月1日に国鉄が民営化となり西日本鉄道株式会社となりました。1990年(平成2年)の3月のダイヤ改正で「急行ちどり号」の運行が廃止となり、平成104月からトロッコ列車「奥出雲おろち号」の運行がはじまり木次線の活性化に貢献し、今日にいたっております。トロッコ列車の走る奥出雲地方はヤマタノオロチ伝説ゆかりの地でもあります。沿線には坂根駅を後にスイッチバック通過後、さっき出発した坂根駅がはるか下に見える場所や三井野原駅手前の国道314号線の「おろちループ橋」が綺麗に見えるスポットがあります。また、蒸気機関車が運転していた頃は、この中国山地を越えなければならないことから急勾配の連続で1000メートル先で30メートルの高さまで上がる勾配を蒸気機関車は精一杯の出力を出すため黒煙をもくもく出しながら、また、蒸気も吐き出して走る勇壮な姿を想像することも出来ます。出雲坂根駅には、タヌキが湧き水を飲んで百年も生存するなどで有名になった「延命水」などもあります。奥出雲地方に伝わる伝統的な鉄づくりの技法「たたら製鉄」は必見ですよ。亀嵩駅では構内で手打ちの「奥出雲そば」が食べられますよ。また松本清張の「砂の器」で亀嵩はいっきに有名になりましたね。今も手作りにこだわっている日本一の「亀嵩そろばん」などもあり、大自然の中を走るトロッコ列車で木次線の旅を楽しめます。なんといってもおもしろいのが、木次町の日登駅です。名前が「日登」で「日が登る」ことからまさしく「陽が昇る」など縁起の良い名称であります、鉄道マニアの人だけではなく、新しい人生のスタートをされる方達にも縁起にあやかり是非訪れてください。鉄道の歴史とは、事故の歴史とも言われています。常に安全運転を心がけ木次線が継続していけることを願っております。

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